前回のコラムで、私が初めて買った腕時計、テキサス・インスツルメンツの501について調べた。

その時計を振り返ることで、私は昔の自分、そして今の自分を知ることができた。ロレックスすべての時計には、何かしらのストーリーがあるのではないだろうか。たとえそれが、自分以外の誰かにとっては何の意味もないものであっても。私はそう思っている。

時計を持って思い出を振り返ることができれば、その時計自体に価値が生まれると思うのだ。私にとって価値とは主観的なものであり、何を大切にするかは人それぞれだ。金銭的な価値というのは、おそらく最も興味のないことだ。

1993年、キルギスの天山山脈で開催されたスピードクライミングの国際大会に招待されたときのことだ。故アレックス・ロウと私は、アメリカ代表として標高7010mのハン=テングリ山に登った。山の名前は、直訳すると “空の王”だ。大理石の急斜面が、地球上でもっとも美しい山のひとつを生みしている。このイベントは、ソビエト時代の登山を思い起こさせるものだった。スノー・レオパード賞は、この峰をはじめ4つの7000m峰に登頂することが条件とされていた。ソ連時代のアルプス登山は、規制が厳しかった。私が経験したような個人遠征、つまりヒマラヤに行き、目当ての山に登り短期バイトで資金を調達するような考え方は、ソ連の一般登山家には存在しなかったのだ。中央集権的な経済と国家主導のスポーツのもとでは、登山家はこのような体系的なコンペティションで吟味されることになる。ベースキャンプから山頂まで3000mを登り、エイドステーションや固定ロープで誘惑されるのだ。

スタートはラテラルモレーン沿いのトロットで始まり、左にジョギングして標準ルートを脅かすアイスフォールに入った。尾根に出ると、残り1000mはコンパクトな大理石の上だ。エイドステーションは、この季節に設置された小さな棚からかき出された風雨にさらされるテントで、午後のスコールで溶けては再凍結していた。運がよければ、ボランティアがストーブを焚いて、お茶や豚の角煮、塩ゆでしたジャガイモを差し入れてくれる。鉄のカーテンの向こう側で暮らす東欧諸国の登山家たちが成功したのは、この食生活がヒントになっていたのかもしれない。あるいは、「あまりに空腹だと噛む前に飲んでしまう」という、アルピニストが困難な山に挑む際の公理を示すものだったのかもしれない。結局、フィックスロープは赤いパラシュート・コードのスプール(巻き取る部分)になったが、頂上への道しるべとなるパンくず程度にしかならなかった。

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